木物語6
子どもがほしい
と思うと、
すぐにポンと、子どもができて自分の関わりにいてほしいというよりも
自分は、子どもに何を教えられるだろう。
キツネが子キツネを連れて歩くように、
社会での生き方を、背中や傍をもって教えることができるだろうか。
そういう意味で、
子どもができたような気がする。
すぐには何にも教えられない。
何が最もらしいのか、確実に生活につながるのか、
行き当たりばったりでは、大変。
子どもを連れればなお。
価値観や、判断軸、そういう意味で、
ぼくに子どもができました。まる。
木物語5
現実をみて喜ぶ赤子。
現実に必要なことをする。
経験することが年を取ること。
木物語3
「社会、リアル」
社会人------会社------関わりのある他会社------その他企業、お店。
国------地域------集団------規則------なんとなくのTPO。
見えないけどあるらしい。それぞれが起こって熟成されている。
そんな社会の手応えを感じた、やっと、はじめて。はてはそれもどうかしら、ね。
兎も角そのまえまではというと、祖母の懐のなかしか知らなかったんじゃないか。
それは胎盤で何かに頼っているようで、目は瞑り、たまにところわからずに壁を蹴ったり、僕はそのうち生まれるんだ、と思ってうずくまっている。
食欲や睡眠に感けて、それは生れもっての快欲に浸って。羊水のなかにいる気でいる。おそらく精神的にはそういうことなんだと思う。ところで、
人間の視野には盲点があって、そこは何も見えないはずなのに脳内で補って象を映しているらしい。想像力や意識ってすごい。
有るもの無くしたり、無いものを有るとしたり。それみたいに、現実をちょっと都合よく変えちゃう。見えなくしていた壁にぶつかったとき、またやってしまった、視野を狭く、脳みそを酸欠にさせていて。そんな気配を時の折自分に覚える。
人々が呼応すると振動している界があった。同じ場所なのに。それが社会なのか。はて
これまでのいたところと違うのは、「意識で作っていないところ」という実感。というのは、
「こうなればいいなあっていう思惑を考えている瞬間」じゃなくて、「学校の廊下ですれ違う際に、気付かないふりをするような、何かから離脱しているところの、その何か」
街で行きつけのお店をすれ違えば挨拶をする。うん。はい。いつもお世話になります。ありがとう。ひとつひとつ、カチッカチッと安心と繋がりの積み重ねをする。
人と人の響き合い。波動や粒子が光の粉みたいに花粉のように海になっていて。魚は海水中の酸素を吸収できるように、潮の流れに沿うように泳げる。社会を泳ぐっていうのは、そういうイメージ。
手応えっていうのは、それの発見。この砂みたいなものを漕いで、漕いで進んでいく。進んでいくのはどこ。いま、というのは、リアル。ナマ、生。
漕いでいく。確かに反発する手応えに、相当した推進力を受けて。
現実の向上を考えれば、意識のなかで「逃げる」「隠す」という選択肢は現れない。
すべて周りに響いているんだ。挨拶、目配せ、語尾、発音、姿勢。
それと、
社会のいま在るいろんなことは、いろんな失敗を分析して、これがこれまでで最も良いとされている方法。「した方がいい結果を及ぼすこと」「した方が生きやすいこと」「みんなが真似してやると、良くなりそうなこと」
よく聞く「やらなければいけない」ということは存在しないはず、
やった方がよい賢いこと、柔らかいこと、その理解が空いているだけ。
少しの工夫や手続きをしているだけで、パンの焼きあがりは、けっこう違う。煮干し等で出汁をとったみそ汁はけっこう違う。食えればいいのであれば必要ないけど、ひとつひとつ工程を成せば着実に生活や身の回りの出来は良くなっていく。
だから、
○今日の失敗の反省や解析はやめよう。
○あれやこれややりたいことを考えるのはやめよう。
○理想ばかりつくるのはやめよう。
○意識に隠れるのはやめよう。
○掃除整理をすれば、行動がきれいに進む。
○ひとつ確認すれば、それはひとつ不安要素を取り除ける。
○一問勉強をすれば、試験に一問出たときや関連する問題で解ける確立が上がる。
○草むしりをすれば、養分は野菜にまわる。
○人の気を察しながら、こころにも肌があるように。言葉をかけるってそれに触れること。
着々と、身の回りの出来事と自分の行動の成功率向上ができるのに、
意識の世界に逃げ込んでしまうのはもったいない、
リアルにいいことしよう。
大人って、リアルの世界で生きている。
鳥が巣立ちを大人とするならば、
人間はひとりで社会と対峙できるか、泳ぐことができるか。
鳥に空があれば、人には社会がある。
ゆうゆう。
社会にも自然にも適合していこう、それが生き残り。けっこう、簡単。
がんばーる
街物語
ある街のはなし。
(一) 時計台
朝、自分という身体は目を覚ましていて、目尻の脂を取りながら、腹に付いた下着のゴム跡を掻きながら、車のエンジンをかけている。ギユン、ギユンユユン
僕の住む街の真ん中には時計台がある。
-----バタン。
時計台のある広場には、すでにいく人の姿が見える。広場の真ん中に立って、時計台を見上げる。白い木造の建物が赤い瓦を被っていて、誰の使う何をするところかは知らないけれど、一部が塔状に伸びていて、その真ん中に象徴的に据え付けられているこの、まるうい時計の針は、5時50分あたりの時間を指している。5時50分なのだ。
自然とポケットから取り出している時計を裏がえし、ねじが好きなようにそれを回す。カリカリカリ
5時53分。僕の時計の針をそのあたりに合わせる。大事なことは、その場で感知することなのだ。
そこから一番近いベンチに腰を下ろす。足なんか組んじゃって辺りを見渡す。いつものこと、覚えのある顔の人が現れては、ひとり、ふたり、さんにん、みんな似たように時計の針を合わせていく。
僕は足を解き、両腕をベンチの背に渡して、空を見上げる。雲が流れている。木はそよそよとなびいている。6時の空気、と言って伝わるだろうか。
「よしと」
ベンチから離陸して広場に背を向けて歩く。
シャワーを浴びて朝食と身支度を繕い、ひとつひとつ今日を組み立てていく。
時計の針が止まるまでともに。
木物語3
この話をおおまとめすると「村野藤吾」だとおもう。
1週間前の日曜日、最寄りの東北公益文科大学の付属図書館に初めて行ってみたら、雰囲気が、大学だけに大学っぽい。市立図書館は老若男女で繁盛している様子で、公益文科大学院の図書館は、それより静まった感じ。大学生の夏休み中の大学図書館は、学生らの気配を残してガランとしていた。蔵書数がなかなか多かったし、どれもあまり借りられていないものばかり、おもしろスポット見つけたな、心内うきうきしていたよ。
そこで見つけた本がいくつかあって、そのうち今日読み終わったのが「村野藤吾/建築をつくる者の心」。93歳まで大坂を拠点に着実に活躍されていた方です。
「建築家というものは、大きな資本をともなう、とても大きな責任がある。建築は社会的芸術である。社会とは人々が合意確認のうえ成り立つものであり、その手段に数字を利用することは必然である、それによって直線的な、産業的発達をすることも。。。
資本主義に始まり産業革命が起こるところで、綿工場等は貴族しか持つことができなかった、だけどお金を蓄えた資本家が産業を始めるようになり、一般市民も資本家となり権力を持つようになった。建築物は資本家が建てるわけで、貴族はもとより建築を道楽として嗜んでいたこともあり、貴族的教養も習得しているものだった。それが、段々と一般市民化していくことで、品が落ちてくる。
ドイツのグロピウスという建築家が、ガラスと鉄を使った合理的建築を良しとし、バウハウスという学校を立ち上げ、それを教える。途中、ナチスによる迫害でアメリカに渡り、アメリカの経済になじんで盛り上がる。ビルディングがたくさんできる。日本もそういう流れを汲んで、建築についての教育を作っている。みんな同じ事を習っていることが、これは間違っている」というのだった。あと一番ツーンときたのが、
「建築家の素質があるとすれば、たとえば子供のころ。玄関の前に水を撒く、そのときに自分の家の前だけでは何だかやった気がしない、隣近所の玄関の前にも水を撒くもんだから、近所の人から好かれてね。要するに、自分のところだけ済ませばよい、というものではなく、周りのことまで気が回ることじゃないですかね、これは、美だと思いますね」
もっともっと、エピソードがあるから、本書を、ぜひ。
だから今は、お金稼げば良しの、広告でかでか看板建物が道路沿いにたくさん犇めいているんだ、そういうことか。
小道に入る、影をくぐる、何か詫びや寂びを察する、歴史を感じる。そういった教養があれば、日本は昔の良さを再育成できるのかな。種はあるよ、環境が整っていないだけ。豊かな環境だよ。もう生命力の強い雑草じゃなくても生きていけるんだ。
「グッドラック」という本の中のように、芽を育てる土壌。日本は、わあっと緑になるよ。
僕の話ね。さっき「美」がでてきた。最近の言葉あそびで、「○を以て尊しとし」の○に何を入れるかを周りの人に尋ねる、というのが自分の中で愉しいんだけど、
僕の場合は「美を以て尊しとし」だった。
この場合「美」は、質素さやちいさな所作、仕事やものひと、生き方に対する姿勢、のようなものから生じる佇まいのことを指していて、身分や職業は必要しない。見たものが何か美しいなと感じたものは、そういう生物的合理に適った賢い行為なのだということ。「美」とは、生物がともに生存するうえで一番大切なもの。自然も一緒。
村野さんの本では、村野さんがそういう考えの大先輩であって、それの確かに感じる経験が語られていて、よかったんだよ。村野さんは、建築作品を発表しても当時反発されるような人。ああ、93年やっていれば周りにその時受け入れられないものも、こう成立するのかあ。93年続ければ、何かしらはこのように成熟できるのかもしれない。僕にはあと70年ある。
まわり、それはどこまでだろう、まわりにおどおど気をしなくていいや。今若干気に入られても、70年後につながることではないし。ふらふら何かの欲に流されそうになっても、これは93歳のところまで、必要なのか。。。
93歳がたのしみになった。そういう気持ち。
話変わり、今日は高校の同級生に、彼の家がもっている山に連れていってもらった。山というのは、畑のように境界で所有者が決まっていてびっくり。一般的に山を持っている家では今、放置されていてあまりよい状況ではないらしい。彼の山は、祖父が趣味で手入れをしているから綺麗なんだそうな。
ゴールも見えない質問に、彼の知る限りを教えてくれる優しさに、有難さが浮かびます。
いろいろな事実を教えてもらうんだけど、いつもの僕の通り、なにも感じない。そうなんだそうなんだ、と吸収するだけ。過剰な関心を示したりしなくても、彼は不足などは発することなくゆっくりとさせてくれた。でもひとつ、ピンと、弦にふれてものがある。彼の祖父の、山を手入れし続ける気持ち。お金にならない山。彼も、手入れをした光等わたる山は見ていて気持ちいいという。
ああ、美だなあ。とおもった。
美のある話って、おもしろいなあって。
でもまだまだわかんないや。
最後、世俗的な話をするけど、これ、誰にも言えていないチョットいやらしい目つきの話なんだけど、
たまにね、夕日が綺麗だと、夕日と結婚してーー!って衝動的に思ったり。枝豆の葉たちがさらさらと波を立てていると、そのさらさらと結婚してーー!とか、
トマトの幹が、すいーっと太陽に向けて伸びていると、キュンキュンてこんな感じだよ。
野菜の実って、発達の様子って風船みたいな感じでしょ、要するに、おっぱいはトマトのように膨らんで、お尻には不必要な養分をまわすことなく、足はすーんと伸びた感じがいいよねー。
この「よねー」が言えないからしんどいわけだ。
赤ちゃんも本能的に、健康な人が好きっていうよ。健康そうな人。
健康なことに価値があるの。
夜更かし、暴飲暴食、ストレスの溜めこみ、致しません。
はい、健康目指して、お休み。
いろいろしゃべっているけど、僕は何もわかっちゃいない。大洋を前に森の中に、木や波の何も知らないように何もわかっちゃいない。
おはよう。
木物語2
それは、今夜限りは電気をすべてつけないで、蝋燭の明かりだけで過ごしましょう。という日。(おそらく)
いま、ひとりキャンドルナイト中。
ステンレス製で取っ手の付いたアウトドアなカップに、仏壇に余った蝋燭、点火、クッキングシートの白い紙を添える。
おや、時代劇で見たことあるぞ。これは、部屋に襲いこんできた刺客に切られたのち、蝋燭の皿が倒れて、次には火事後の朝となるやつだ。
火災って思っていないほど、身の回りにあるものだね。。とにかく、手足の届かぬ、風の吹かぬ安全なところに置き、消して就寝すること。
キャンドルナイトをしながらワープロぱちぱちって、、どうなの。。。まいいや
今夜は社会人夏季休暇5連休の最終日であり。コンビニやアパレル関係を考えると、有難いこと。世の就労者の5分の1は夜間にに働いているそうで。昼の勤務とは日替わりで、人間が寝ない時間に無理に寝ている。。。は置いといて。
お盆。僕は昨日まで、2晩お風呂に入らず、昼近くまで眠り、起きて科学雑誌ニュートンを読み、眠り、ニュートンを読み、ご飯を頂き、ニュートンと眠り、、という生活を3日間してた。
眠り過ぎると、夢もおかしくなってくるのね。悩みがむりくりでゆがんだ形に解決したり、古い知り合いが親しげに登場したり。
普段の会社勤めでは到底出来っこない、いもいも状態でありました。貴重。
「あ、これだったら働く方が楽しいかも」
とか「ああ、やんなきゃと思っていたあれはやんなくてもいいことだあ」
とか「なんだか満足――」
っという具合。もう横になってはいられまいと調子が出てくると、
「あ、あれは蛹だったのか」
他の虫は、ビアガーデンしたり花火に出かけたり、活動盛んな虫たちだけども、僕は変体前というか、準備としての必要な蛹だったのだ。
連休にあたり、無事に蛹を完了した今は、、、何か、なのだ。余分なものは溶かしてしまい、新しい器官のもとにする。すごくさっぱりした実感。
明日からまたケロッと出社致します。
ニュートンは、生物と、数学、を読みました。ほんとすごい!
生物の進化や生命力、学者の発見や頑張り。詳しくはニュートンを見てね。
時計なんて、最初は時間を決めるのでも、たくさんの時間を使って。振り子時計もすーんごい時間。携帯時計も然り、そして電子時計や原子が現れ。。
数学もね、すーんごいのよ。ヨーロッパの学者が、リレーみたいに進化みたいにどんどん編み出していって、機械計算機で一度、ファンファーレが鳴るのよ。数学界で、なんとなく。
今は、P、C。
ははーーーー。無知でごめんなさい。なんかもうすごい。頭が下がる。自分は恩恵を頂くだけ。本当さ、木の蜜を吸うアリンコ。発明もしないし、PCの操作もすぐ人に頼っちゃうようなお気楽者だと。。
高校で一度頭に入れた数学や物理の拝啓には、幾重にも重なる過程と検証等があり、
僕あ何も知らんなと。このギターの発展さえも知らんなと。時計とか工業品が手ごろな値段で大量生産できることの凄さも知らんなと。なんもしらん。
知らないものが周りにたーくさんある。
それらを見えるまま只ファッションとして、当たり前に扱うのではなく、それらの見えないところを知っていくこと。見えない部分を知っているほど、いろんなことが貴重になっていくのかなあと、思い至った次第です。だから、キャンドルナイト。無知の僕なんぞは、蝋燭で十分。何かを生産するでもない類の読書は蝋燭で十分。そんな自虐からはじまった。
夜中の電気の明かりは、電気の需要的にも正しくは無く、身体にも利なし。試しに蝋燭だけで本を読んだりすると、ああ、夜って本当は暗いんだんあと思う。
これは早く眠って、朝日で活動しようと、自然に思う。
でわ、キャンドルで本を数枚読み、眠ることにします。おやすみ。かもん月曜。
朝起きました。おはよう。ゆらゆら炎はけっこう癒し。なんだか夜が楽しみ。。
お昼、投稿。
木物語
物語は、意識を透した現実。
伝えたいかもしれない結晶。
ディスニーのキノピオはウッディボーイとして生まれる。教養を獲得していってリアルボーイとなることを望んで。彼は言う。「僕、人間になりたい」
それにちなんで、人として人になる、自身の向上を願うもの。
ぼくものがたり。はじまり。
トランスフォーマーを約束の友人と映画館で観賞する。
3Dは何だか懐かしくって、こりゃ未来すごいな。
アクション映画は、お決まりのアクションがあって、これは昔の日本でいう歌舞伎や、脚本技術の積み重ねと経験なんだろうな。コマの飛びとか、アングルとか、かっこいい。これをALLWAYSとかは、日常にもってくるから、わくわくするよ。
セリフの調子だってユーモアにとんでいて、これはムービーなのだと思った。
流行も追っている、職業倫理、ADHD(発達障害)の世間的認識、中国関係、リーダーシップ論など、自分が勝手に納得したのはこんな感じ。
子供の自分が見ていても、大人になってきた自分が見ていても、おもしろい作品だなーっとおもった。あと、50歳の学者先生とかが見たらどう思うんだろう、、て。それは知るのちょっとこわい。
おもしろかった、でも、いろんなことが盛り込まれすぎていて、
「つかれだー」って友人と言った。笑い
映画を久々に見て、自分の内心の変な反応に気づく。
・行動指針を探しているのではないか
(主人公らの行動や所作、行為などから)
・感情のでどころ(原初)を見つけようとしているのではないか
(リーダーロボットがする行為の決断理由はなんでなの、人間的感情ってこんな感じ?)
反応のなんとなくがわかる。
子供が親や周りの大人を観察して、こうすれば功を奏す。こうするのが正しい。そういう行動の種類を見てとろうと集中していた。
ムービーだと知っていても、至極理想だとしても、そういう姿や指針、がほしいんだ、自分。
次に、見ていて一番気持ちよかったもの
登場するロボットのなかで、人間で言えば最年少で性格は破天荒の気まぐれな黄色いやつ、バンブルビーがいるんだけど、作中で上司やリーダーから褒められるところがある
「お前最高だ」
「よくやったバンブルビー」
このことばが、家族愛とかよりも、きゅーーーん、とした。
(あ、おれ、言われたいんだ)
この、おままごとみたいな掛け合いに憧れるんだ。
でもただ煽ててもらいたいんじゃあない。
なんだろーねー。
わからないけど、あの言葉を自分も使おう。ってぱくった。
「ママ今日カレー?最高!」
「おうどろんこだな、」
「こんげも栗拾ったな?よぐやった」
みだいな、感じ。
あと、職場、よくしたいなー。健やかにさわやかにしたいなー自分を、っておもっていたようだ。
あとね。
アクション特有のスローモーションがあるの。スローモーションって何でするのー、何か感に訴える効果があるのーって、思ってね。
仮説。
スローは、注視するということ。時間を強く感じて印象的に濃く体感するということ。すると価値高まる。
スローと言えば、スローライフなんて言葉が好き。自給自足でゆったり過ごしましょうっていうもの。薪の火なんて幸福だねー。
ゆっくり過ごすってことは、貴重というか、その時間を目一杯受け止めるのってことは、ああこれ、やっぱり価値ある事なんだーって、理解がつながった。ゆっくりというか、ッ気を配って過ごす、この意識で、同じ時間の体感量が変わる。つまり、生きている時間が多くなる、ということ。
そしたらね、話はとんで戦国時代は、平均寿命35歳と聞いているさ。現代2014年は70歳とするよ。でも、現代は忙しいよね。田植えしながら鳥の声を聞いたり、琵琶で歌ったり、神経を澄ますという感覚が、肉体で世界を感じることが、めっちゃ少ないんじゃないかって。
だから、子供の成長を見たり自然を感じている昔の人と、時間に追われながら夫婦共働きのうえ保育所に子供預ける、ご飯はお手軽なもの。
これって、生きている時間が同じくらいだよねえ?
・神経がはたらかないことにはなるべく関わらない。
・なんだか持て余す時間も、何かに意識を注いでみる。
これを、相対的長生きの術とする。
笑い。
あとね。建築の話するよ。
敵役のロボットの乗る宇宙船のコックピットが、骨組みしかないの。
まあ機械の身体だから、風とか関係ないよねえ、宇宙とかではシールドとか張るの
かなあ、そういえば最後には、スーパーマンみたいに裸のまま宇宙にリーダーが飛んでいくし。
人間だったら無理。断熱とか気になるし、エアコンも必要。冬なんてさむーいって言うし、夏はあちーーって。
ああ、身体が強ければ、建築は楽でいいんだ。そう考えると、昔の民家とかに住む人々は、耐えることを以て身体が強いんだ。それもひとつのやり方だ。
建築基準法は、「こうしなければならない」、「こうしてはならない」、「これ以上とする」こればっかりで凝り固まってきた頭が、揉まれた。
繰り返します。
揉まれました。
~まとめ~
・いいもの、いいことを見つけたらすぐさま褒めること。きもちいい。
・意識を以て生活すること。パンを焼くこと、自然を見る事、掃除、これらの手間は生きる時間に直結するんだ、もっとやれ。
・建築は、対象が必要とする空間要素であること。それ以外であらず。虫にとっての羽や甲羅に代わる。身体の一部のようなものであれ。
さいごに、
トランスフォーマーいつ行く!?と声を掛けてくれた友人に感謝。
あーー休日したー