読書メモ1 大宮エリー 著 / 生きるコント について
先月に購入して、寝かせてしまっていた本を読んだ。大宮エリーさんっていう、映画監督からCMドラマ脚本、コピーライターなど何でもやる人。
つまんない勉強なんてさておき一気に読んじゃった。ブログに書くのは抽出したいことがあったから。とっておきたいから。読んでいる人には、話の背景が浮かんでこない、書く人の備忘録になってしまこと、ごめんなさい。本を読んでください。宣伝、笑。
大宮さんは、発想がすごくて、なによりちからづよい。おれが憧れいいなあってふむふむしたちからづよさ、それは、既成した現実を歪めるちから、明るい方向に。
たとえば、鉢に植えたひまわりが2本育ったけど、片方がもう片方の陰に隠れてしまってる。なら、2本が両方明るくなるように鉢植えごとぐるっと回せばいいやん。そんなエピソードは本書にないけど、というよりもっもっと豪快、生々しく、笑。紐パンとかゴキブリ、ポルシェ、いろいろ出てくる。
それと、大宮さんは包み隠さず語るから、なんだか業界裏の事情がよくわかる。締め切りに追われて、いろんなことをうぎゃああと提出しているのかもしれないけど、それが読んでてすごくためになる。
ひとつ、エピソードの解釈。
大宮さんは子供のころいじめられっ子だったそう。それは引っ越し先でなまりが目立ってしまう関西弁や、母の変わった弁当、口下手だったり、結果としていじめられっ子になった。いく日も母子で反撃を考える日々がつづく。そしてある日、いびる集団のドンに勝った。「こうすればいいんだ!」と、子供のころの彼女はわかったらしい。それから、彼女はクラスの人気者にまでなっていった。
彼女は同時にこうも言ってる。子供のなかでいじめって起こるものなんだ。変わったものが、そういった冷待遇を受けるって。
そりゃそうか、限られた世界のなかを集団で生きるうえで、それが有利なんだ。優勢な方に所属する。安定した風潮に沿って暮らす。いい方にのっかる、たぶん自然。いじめって小学生ぐらいの子どもの世界では、透明でわかりやすい。中学高校でも目をつむってるけどある、大人のなかでも上手に繊細に行われている。もはや、水に薄め過ぎていじめではない。農薬を身体に害がなくなるまで濃度を薄める様な感じ? 関わらないだとか、ちょっと避けるだとか、ちょっと距離を置くだとか、これはもう上手な人付き合いと言われているよ。
「こうすればいいんだ!」
それは自分のプロデュースの仕方がわかった。自分を修正していくというのではなく、ありのままの自分を売り出すこと。いじめられっ子は、そういうレッテルを周りに貼られたまま苦しんでいるんじゃないか。周りに貼られたものっていうのは、いろいろある。苦情であったり印象であったり評価であったり、良いものわるいもの。貼る、貼られるという、そういうんじゃない。
売り出す。これがわかったから、大宮エリーさんは映画監督や脚本として咲いているんじゃないかって思った。
収益のために売り出すっていうのもあるし、存在の確保として売り出すのもあるし、売り出すことも必要ないのかもしれない。貼られないようにというか。みんなが貴族や武士や商人農民労働者にはなれない。それぞれがいないと。だから、これが幸福ですよ的なビジョンを掲げられると困る。それぞれが違うんだから、位置や体型や。それぞれ違うのを自分で売り出していこう、という心だよ。
と自分にいちばん言ってる。
このわからなくなるまで頭が進んじゃうのが好き。おれのブログ、完結せずに力尽きるパターンが多し。
最近は、BUMP OF CHICKEN/ガラスのブルースをずっと聞く。
抽象して乖離しているのが好き。単にパワーだけ貰える感じ。