拝啓私 徒然草々

日常と妄想、いろーんな角度から観た世界を紡ぎます。ことばで泳ぐの練習です。  【0806】定期更新してみます。毎週月曜日、だからそれ以外は目を運ばなくてもよいよ笑

木物語9

山形市にある、最上義明歴史館に行った。友人に連れられて行った。
無料ガイドのおじいさんのお話で展示を巡りながら教えてもらった。

いまの山形市の辺り、小さい武将が紛争を起こすような中、最上家が何代かかけて統一していった。そして、町の整備や商業の発展、都の文化を起こした。京で価値のある紅花を生産して、河川の交通を整えたりした。豊臣秀吉との交友や隣国との関係も上手。医者や学問の少ない時代に祈ることで安らぎを得ていた民のため、石寺など寺社を多く建てた。徳川と石田がもめる頃、徳川につくことで関ヶ原の戦いを終えて勝ち組となる。義光のあと、最上家の世継ぎに関わる家内の争いにより、領主の座を幕府より取り上げられる。そのあと、ころころと領主が変わる。
最上家が山形市街地の原型を作ったとして、有名に取り上げられているそうな。もし、最上家がまとめなければ、田舎のままだったかもしれないし、別の産業の起こりがあったかもしれないし、今ある山形市から山形県には最上義光の公益がある。


中学高校と社会科がきらいだった自分には、一般教養に虫食い穴が空いていて、途中わかったふりをつくろうことがあった。あなぽこ沢山。

あ、おもしろかった話。刀と太刀の違い。刀は腰に挿すもの言い、太刀は紐でぶら下げるものを言う。長さの違いではないこと。太刀は馬に乗る場合や走ったりする必要がある場合に用いる。刀は刃を上にして腰に挿す。太刀は刃を下にしてぶら下げる。どちらも鞘から抜いてすぐ切りつけられるようにそうする。
 「おお~~~!」って、これを感嘆というの?刀と太刀、ゲームでは攻撃力がいくらとか決まっているものだけれど、現実の話は、こういう話。わお。

 一日で決着がついた関ヶ原の戦いの解説は、石田軍側についていた騎馬隊の武将が寝返ったことを、「角が落ちた」って言っていた。将棋で言うところの角が無い、「おお~~そりゃきつい!」戦はわからんが将棋はちょっとわかるよ、ガイドのおじいさんわかりやすい!


 昔、戦なんていやだ、知りたくない、武将沢山、だから何。そんな風だった自分。
 今、街がこうやってあるのは、武将の統治によるもの。当たり前が、有難いこと、理由があること。
 農民や労働者は、自分の生活や身内のことでいっぱいかもしれない。武士というのは、街づくりや大名のやりあい、そこで観る苦労もあるのか、わからんが、あるのか。
 こういう話を教えてもらったり、わずかに残る資料を見たり。現代からは考えられない歴史の出来事の理由を知ること。こういう深いことを、情報が頭のなかに断片的に入るように聞いて事態を理解しよう読み取ろうとするのって、とっても難しい。考えなきゃわからない、考えても疑問が増えるばかり、そこから出来事や意図を汲み取ろうとする頭の動き。こういうのを続けたら、人の話を聞く時もよく理解できるようになるのかな?
 歴史って深い、深い深い。現代の広告的な、あんまり意味のない軽いものはどうでもいいや、ってなる。ほっ。


 行きの車中では、
 「はちこ王子ってさ、わるいことして都落ちしたんじゃないよね?古事記にでてくるような世継ぎ争いがばかばかしくて来たのかな」
 「それか、東北の人綺麗じゃん!おれ末っ子だし、こっち来ようって思ったんじゃね」
 「ああ、いいことすれば美人受けもいいだろうって」
うんぬんうんぬん想像してもわかんなかったり、友人の人間的見解を聞いたり、想像で済ませていたことがあったけど。習えばすぐわかるじゃん!歴史って、習えばわかるじゃん!
世の中のこと、あれしたいこれしたい、あるけど、過去の堆積したもの習えばいいじゃん!悩むより早いじゃん!

なんで税金ってあるんだろ、戦後の建物がのっぺりしてるのは仕方ないのだろうか。習えば経緯がわかる。「なんでだろうの種」は、水を与えて収穫できる。認識は細かくなってくる。

漫画や物語のように上手にいくことに憧れたり想像しちゃったりするけれど、現実はそんな風にうまく着地しない、なんかうまくいかない。
歴史はあったこと、幾年かかったり、現代は跡形だけ残っていたり、必ず原因や意図や手堅い成功の元があるもの。「ほほ~~、最上氏~あんたすごい人なんだね~!」

自分の土壌のなかで歴史散策に陽が当たったのは友人のおかげ。お陰で陽が当たる、可笑しいね、多謝。
 ガイドのおじいさんの、愉しいお話、多謝。
歴史。