木物語7
「おもてなし」の語源は、「持って成し遂げる」
よくわからんけど思い巡らすことには
手間を掛けること。
自動ドアと、旅館の女将の扉を開けてさしあげるのは何が違うか。
身を、時間を、生を割いて、して差し上げたい。
そう考えると、のし紙の付いた贈答品なんかは簡単に変えちゃう。
昔でも同じ、金銭で解決できたかもしれないけど、
貧しい農家が、年貢から拾い集めたお金で購入する、赤子のおもちゃ。
何年分だろう。
商屋の家族が、なんとなく記念で買うのではない。
農家は、おもちゃがどうこうとか、流通とかそんなん知らんけど、
その人の中で絶対的に価値が膨らんでいて、それがとても創造的だなっと思う。美、?清い?わからん
なんだか初めに書こうと思っていたことと正反対のことをかいてしまってる。。。
手間や材料などの工程を知るべき、と自分に刻みたかった。
その皮の靴、どれほどの手間がかかるの?工場?手作り?どれぐらい年月改良が重ねられてる?自分にはどこまで出来る?
そういうの全然しらないで、たまに、高いものを欲しい。って発奮する。
でも、どんだけすごいのか、知らない。
それは、そのものが全然輝いていない。持っても絶対、長く使いづけられない。粗末に扱うから。
だから、僕はそれを持つ資格はない。
それどころか、さまざまなものを利用するのもなんだか、滑稽に見える。そんなことは言っていられないから、今はいろんなもの前借している。
きちんと学べば、そのものだってとっても貴重だってことがわかる。どんだけ助けられてるんだって。
社会もそう。いろんなことが成熟している。それらを習わなくちゃ。習う。素直に。目移りもするけれど、
いい感じに空中分裂してまいりました。
読んでくださっている数少ない方に尋ねますが、
今日の記事が一貫しているとすれば、それはなんなんでしょうか。
いろんなものが、つくられている。それを知ろう。